あれから20年も・・・この先何年も

気がつけばKiCadのGUI翻訳を開始して2年が過ぎました。
現職場の業務改善に使えないか、と試しに始めた翻訳に入り込み、年明けにはソフトとハードの交差点のyonekenさんと知り合い、翻訳データの交換、そこからkicad.jpとメーリングリストの開設、トランジスタ技術誌でのチュートリアル記事掲載、有志の皆さんによる数百ページにも上るチュートリアル、ヘルプファイル群の翻訳、またML参加者さん主催の勉強会開催など、作業を始めたときには想像もつかなかった展開に、「決心すること」「何かを始めること」「人の縁の大切さ」をつくづく感じます。
有難いことです。
まだ高校生の頃、周囲が皆大学へ行く事を目標にしていた頃、どうしても大学やその先に目標が描けず、音楽や楽器が好きだったので音響建築やスタジオレコーディング、楽器リペアやピアノ調律師になる事をただ「夢見て」いました。
「オーディオをやりたい」と電子系の短大に進み、オーディオメーカーに勤務したものの、オーディオ以外の部門に配属、その後、社内出向でプリント基板設計の部門に入り、その身を憂いていましたが、ある日の深夜の職場の帰り道、同僚に「本当はピアノ調律師になりたかったんだよね」と漏らしたところ、普段はしょうもないことばかり言い合っている同僚が

「そ~れは○○が悪いじゃーん」

とサラっと言った時に目が覚め、人生が変わりました。
「全くその通りだ、道を選ばなかったのは自分だ」
素直にそう思いました。
そこから先は「人生何倍速?今何度目の人生?」という感じです。
その週末には本屋で専門学校や音大の一覧本や楽典の本をごっそり買って、勉強を始めました。その数ヵ月後、短大の同窓会に顔を出すと、サークルの友達が
「私、いまピアノの調律を習ってるんだよね」
すぐに調律学校を紹介してもらって電話をしたところ、土曜日に一コマだけ空き時間があるとの事。体験レッスン後に年間授業料を一括払いして、アップライトコース、そしてグランドピアノコースも取って何とか卒業できました。
仕事、バンド、ヤマハやスタインウェイなどピアノメーカーの勉強会への参加など、色々詰め込んでうつ病になったり、Nifty(パソコン通信)の掲示板繋がりで調律学校に入学した今の妻と知り合い、瞑想を教える人生の師に出会い、基板設計の師に出会い・・・
結局、何度ピアノ調律の道に入ろうとしても叶わず、基板設計者としては何度辞めようとしてもオファーがかかり、1000枚近くの基板を描いてきて、「お前は基板設計をしなさい」と神様に言われてるんだな、この道で生きていくか!と思ったところにリーマンショック。
地元に戻って、基板描きのいない会社に入り、それが今こういったKiCadという形で花開いているというのは、不思議なものです。
初めて基板を描き始めてから20年、ふとそんな事を思いました。
脱線しましたが、そろそろ次期バージョンのKiCadの翻訳見直しに入るため、ソースを拾ってきました。また地道な作業が始まります。これからKiCadがどのように成長していくか楽しみです。
最後にピアノ調律の師匠の言葉
「未来に夢を見るな!」「大人であれば今この瞬間に実現のための行動を起こしなさい」
かっこいいです。